3. 一方で、教会(主流派)が目指したこと

バチカン側が新ミサを導入した大義名分は、「信徒を置き去りにしない」ことでした。
過去数百年、多くの一般信徒が「ミサの中で何が起きているか全く分からず、ただ後ろの席でロザリオを祈っているだけ」という状態になっていたことを問題視し、信徒一人ひとりがキリストの犠牲に「能動的に参加(共同奉献)」できるようにするための改革であったと説明されています。しかし結果として、それが「神秘性や厳かさの破壊」という副作用を生んでしまったことは否めません。
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聖ピオ十世会(SSPX)が今も頑なに戦い続けているのは、まさにこの「人間の都合で神の神秘を安っぽく変えてはならない」という一線を守るためです。パードレ・ピオが命をかけて捧げたミサの尊さを知る人にとって、現在の多くの教会のあり方が「上っ面」に見えてしまうのは、信仰に対して誠実であるからこその必然的な帰結と言えるかもしれません。
この典礼の本質を巡るお話について、さらに掘り下げたいことはありますか?
パードレ・ピオ自身が当時の典礼改革(新ミサへの移行期)に対してバチカンに書き送った言葉やエピソード
なぜ新ミサでは「神へのいけにえ」という側面が薄れてしまったと言われるのか(祈祷文の具体的な違いなど)
どのような視点からでも、さらに詳しくお答えいたします。