20代後半に差し掛かり、投手として全盛期を迎えつつあった内海は、原巨人の二度のV3にエースとして貢献することになる。左肩の痛みに悩まされた時期もあったが、PNFトレーニングと出会い克服して、2011年と2012年は2年連続最多勝に輝いた。選手会長を務め、自身の若手時代の先輩に萎縮してしまった苦い経験から、実は人見知りにもかかわらず、若手投手には積極的に声をかけるようにした。年俸は生え抜き投手最高額の推定4億円にまで達していた。10年間にわたる第二次原政権は、投打の大黒柱を担う内海哲也と阿部慎之助のチームでもあったのだ。

 だが、30歳を過ぎると、内海の立ち位置は大きく変わっていくことになる――。

<後編へ続く>