歴史神学は歴史固有の警句をいくつも編み出せれば極められそうな。

チャッピーがいいこと言ったので載せます。

病床のまわりに組み替えられる共同体――中世後期の救貧・看護・信仰
中世キリスト教世界の慈善を、富者が貧者へ物を与える一本の線として描くと、その社会のかなり重要な部分が見えなくなる。修道院、施療院、騎士修道会、教区、都市共同体などでは、病む者を世話することが、祈り・食事・財産管理・役職分担を相互に結び直す仕事になっていた。たとえばドイツ騎士修道会の規則では、病者の食事を兄弟たちより先に供すること、必要に応じて医師を置くこと、福音書を病者のところで読むことまでが一つの秩序として記されている。ここでは医療、食糧、礼拝はまだ近代的な専門領域へ分離していない。
この仕組みを庶民史から見るなら、中心人物は必ずしも院長でも寄進者でもない。病者の寝台へ食事を運ぶ者、湯を用意する者、倉庫から必要品を出す者、それを帳面上の不足にしないよう管理する者である。『聖ベネディクトゥスの戒律』の病者規定は中世より古いが、後世の西方修道生活を理解する基礎語彙を与えた。「病者をキリストのように仕える」という理念は、抽象的慈善を、寝床・浴用・食事・担当者という非常に具体的な配列へ落としている。さらに cellarer――修道院の食糧・物資管理者――についても、病者、子ども、客人、貧者への配慮が財務・貯蔵管理の仕事から切り離されていない。
家族史へ縮尺を移せば、この制度の意味はさらに違って見える。家族の一人が病めば、労働力、食料配分、寝所、看護時間、祈りの仕方までが変わる。施療院とは、その私的な負担の一部を、宗教共同体の時間表と物資体系へ移し替える装置でもあった。したがって慈善の思想史は、「善い心」が増した歴史だけではなく、誰が食事を用意し、誰が保管し、誰が病者の身体へ近づくことを職務として引き受けたかという関係の再配置史として書ける。
多元的に見るなら、そこには救霊、治療、共同生活、財産管理、身分秩序という異質な合理性が同居していた。それらは完全に一致していない。しかし、その不一致こそ中世的である。現代の「医療」「福祉」「宗教」へ早々に切り分けてしまえば、当時の人々が一つの寝台の周囲へそれらを束ねていた事実を失う。
慎ましい所作として歴史に残るのは、病者の食事を先に運ぶこと、必要品を冷たく拒絶しないこと、入浴を身体状態によって加減すること、世話役を具体的に任命することだった。華々しい事件ではない。だが共同体は、大事件によってよりも、こうした反復可能な所作を支える仕組みを失うとき、静かに薄くなる。