>>398
予定説と云うけれども


パウロもアウグスティヌスもカルバンもルターも、


自分は救われているという意味は


神様の絶対恩寵、絶対愛を深く感じてるからこそなのです。
自分中心の世界観を手離してこそ、神様中心の世界観が獲得出来るようになる。

自らの不完全さが、というフィルターを通して神様の完全性を観ることが出来る。

予定説の最大のポイントはここに有ります。