依存中毒だけが、欲望ではないのか。(確かにそれらは欲望の王様くらい強烈なのだが。)
誘惑にも強烈なものがあった。

例えば施与でけちを克服すると、倹約が禁欲の対象になる。禁欲の構造が変化するわけ。
困難だが聖である課題は、大きな進歩があると思う。

強烈な依存中毒や誘惑だけが欲望ではない。

心や経済に困窮する人に、慈悲をこめてほどこしをする。それが平常運転になればけちでなくなり、節約志向は背景に沈む。節約が禁欲ではなくなる。
不可能に思われる聖である課題を何にも優先して取り組むのは大きく進歩する。