ところが今回の記事では、他の女性を、
「毎日セックスして子供を産みまくる女」
「子宮だけで勝負できる」
という極めて性的・生殖的な尺度で評価しています。
つまり、本人が批判しているはずの「女性を男性から見た性的価値で評価する」という発想を、別の形で自分自身が使っている。
これは心理的にはかなり興味深いところです。
「私は知性・学歴・思想・信仰によって価値を持つ女性だ」
という自己像と、
「女性として社会的に評価されるのは、結局、男に愛され、子供を産むことなのではないか」
という観念が衝突している可能性があります。

3. 「子供を持つ女性」への攻撃には、かなり強い羨望・劣等感の成分が混じっている可能性
ここは「嫉妬」と断定するより、羨望・喪失感・地位比較という言葉のほうが適切です。
彼女は、
結婚生活が短期間で終わった
子供がいない
職業的には安定した地位を得られていない
博士号という高い学歴を持つ一方、それが社会的地位に直結していない
という経歴を持っています。

このような状況にいる人にとって、
結婚している女性
子供がいる女性
家族を持っている女性
社会から「母親」として承認されている女性
は、単なる他人ではなく、「自分が獲得できなかった人生」の象徴になり得ます。

そこで、
「彼女たちは自分より幸福なのではない」
ではなく、
「彼女たちは社会制度に寄生しているだけだ」
と再解釈すると、心理的には非常に楽になります。
つまり、
「私は負けたのではない。そもそも、あんなものは勝ちではない」
という形です。
これは心理学的には、価値の反転として理解できます。