「無」ってのは何も無いことをそう呼んでいるだけなので、
「無」に「なる」と言ってる時点で、「無」というのがあたかも独立した対象として存在しているという認識に自然と陥ってしまっているのである。
ここで言う独立した対象とは、「「全」を消し去った後の状態」のことである。
その時点で完全なる「有」である。だって、「「全」を消し去った後の状態」のことを指しているだけにすぎないのだから。
「無」は「無い」。当たり前だ。だって、「無」とは何も無いことをそう呼んでいるだけなのだから。
「無」とは何も無いことをそう呼んでいるだけなので、当然どこまで行っても「無」は「無」。
「無」には永遠に到達できない。当たり前だ。到達というのは何かが存在しているからこそ起こる概念、つまり、「有」の概念だからだ。
観測者が消滅すれば「無」と言えるのだろうか?
答えはもちろんノーである。
客観的にはもちろんのこと、主観的にもノーである。
なぜかと言うと、自分が死んだり消滅した場合、当然それは自分では認識できない。
正確に言うと、認識できないということすら認識できないということすら認識できないということすら・・・・・(これがどこまでも続く。)
つまり、死んだり消滅したりした場合、そこから999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999年後にまた生まれてくる場合と、0.000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000001秒後に生まれてくる場合と、
もう永遠に生まれてこない場合と、永遠に死んだり消滅せずに生き続けるのは全て同じなのである。