>>43

「少なくとも系である素粒子は存在しないは自明ではないですね
↑
「どんなものでも精神の中には存在する」
から
「素粒子は存在しない」
を導いてみてください」

精神の空間の中には偽の命題も存在する。妄想、偽の映像も存在する。というより、真とか偽とかが通じる空間と通じない空間がある。ところで精神の空間はどんな長さも作り出せ(無限小超実数ε)、定理1より、形の定まる空間(古典的な物理空間)の前提にあるので、より一般的な空間である。そこでは「0以外の最小の長さは存在する」は偽である。偽であるが文章は存在する。
「0以外の最小の長さが存在する」は偽であるが、その文章は頭の中に偽の妄想として存在する。
真実は「0以外の最小の長さは存在しない」


「精神が存在する、という文章に精神が既に前提とされており、そこがよくないと言いたいんですか?なんでそれがよくないんですか?
↑
循環論法なので、精神が存在することが示せていません」

精神が存在する、は別に循環論法にならない。何故ならただ事実を書いているだけだから。目の前に太郎という人間がいて、太郎の精神が存在すると書いてるのと変わらない。
リンゴが存在すると書いてるのと変わらない。




「
空間内部に位置が定まっていれば形状とみなせると思いますが。
↑
意味がわからないんですが、
・空間とは何か?その内部とは何か?
・位置が定まっている、とは何か?
・何故位置が定まっていると形状とみなせるのか?」

空間とは
無矛盾性を仮定した場合に必ず生じる文字が書けるスペース。文字が書けるならば必然的に生まれる。

内部はまだ考え中。

位置が定まってるとはx=0と座標が定まってる事
位置が定まっていたら、白いキャンバスの上に黒い炭でデッサンしたら炭の粒子が削れて形が描かれるという事。