>>387
物理学者、仁科芳雄は1920年英国キャヴェンディッシュ研究所でラザフォードに師事
1922年ドイツのゲッティンゲン大学に移ったが、
「物理学は十分に成熟していて新たに取り組むべき問題はもはやない」と家族への手紙に書いた。
by Wikipedia(当時の半古典的量子論の現状といえる)
科学技術の底上げのために帰国後は玩具を本格的に研究する事を考えラジコンなど研究
1923年ニールス・ボーアの講演を聴いて物理学の新しい分野を知り
ボーアへ手紙を書いて留学を希望する旨を伝え、コペンハーゲン大学のボーアの研究所に移った。
ここで研究員として5年半過ごす間に、物理学の大革命といえる量子力学の誕生と完成を
リアルに目撃し発展に貢献した日本人となった。

ところが帰国後は招待してくれる大学がなく、理研の長岡半太郎研究室に所属した。
(当時の日本の大学は量子力学に全く無知だったといえる)
ヴェルナー・ハイゼンベルクとポール・ディラックを日本に招き量子力学の講演で
日本の大学に普及を行った。
理研で研究室を立ち上げ、朝永振一郎、坂田昌一、南部陽一郎、西島和彦などの物理学者を育てた。
東洋最大のサイクロトロンの建設を主導し原子物理学の研究で核変換を実証した。

これほどの業績を上げた物理学者ならは今の日本の紙幣に描かれても可笑しくないが
第二次世界大戦と敗戦がどん底に突き落としたといえる。