>>176
それらのどれをとってみても貨幣制度を破壊する程のインパクトはないよ。

塵も積もれば山となる。原理的にはできるはずだから、いつかは何でも好きなように
物が作り出せるようになったり、エネルギー効率も今とは比較にならない程高くなって〜と、
原理的・論理的にはそうだとしても、現実的な社会構造がどのように変化するのか、
現実的時間はどれ程要するか、それを無視するわけにはいかない。

仮に貨幣制度が破壊されるならそれはもう既存社会が大きく変容するか破壊されるかということだから、
その後を妄想するのは自由だとしてもそこに現在との連続性はないと見るべきだ。

たとえばカーツワイル氏の議論展開はそういう部分がとても目立つんだよ。

たとえば人体3.0という概念モデル。このモデルはあまりにもファンタジーな内容だけど、
バージョン2.0は少しマシでそれ以前に何かしら技術的な萌芽として現在どういったものがあるか、
目先の進化としてはどういうことが想定できるのか、その部分はそこそこ説得力がある。
しかしそこから話が一気に大きく大きく飛躍して「だから」バージョン3.0もすぐそこにと。

「レプリケーター」という言葉を使用してはいなかったように思うけど、3Dプリンターの進化の話も同様。
たしかに3Dプリンターという技術革新があって、その目先の進化はいろいろ現実的に想定できる。
しかし「だから」スタートレックのようなとなったら、それはあまりにも話が大きく大きく飛躍しすぎだ。

他にカーツワイル氏は「強いAI」は「(今の人間にとって)とても優しい」はずだという趣旨のことを述べているかと思えば、
逆に今の人間の倫理観など吹き飛ぶような、今の人間にとってとても都合が悪いような存在になるともかぎらないと言ってみたり、
社会は急変するとか現在の倫理観が吹き飛ぶというようなことを言っておきながら、
なぜか人間の自己同一性の核となる部分はゆっくりとした変化をするだけだから大丈夫と言ってみたり、
重要な論点における矛盾が目立つ。