>>324 つづき
>>フルパワー選択公理→非可測集合→コルモゴロフの確率論の外だと。これが概略 時枝記事の主張だと思う
>部分列が相異なる標本空間で考えた確率の列であるような数列を考えることと
>公理的確率論の枠組みの外で考えることとは何も矛盾しない。

また話が微妙にずれている
フルパワー選択公理→非可測集合→コルモゴロフの確率論の外だいうことを使って
”勝つ戦略なんかある筈ない,と感じた私たちの直観は,無意識に(1)に根ざしていた,といえる.
ふしぎな戦略は,確率変数の無限族の独立性の微妙さをものがたる, といってもよい”>>315と逃げた

でも、それは単に時枝の心理的な逃げであって
数学としての正当化になっとらんよ
そこが大きな問題だと指摘している

「公理的確率論の枠組みの外で考えることとは何も矛盾しない」程度の話ではなく、本当にそれで時枝解法の成立が導けるのか?
多くの数学科の教員や修士から上のレベルは、ノーだろう
その例が、>>39だし>>254だよ