http://james.3zoku.com/kojintekina.com/physics/index.html
物理の窓 目次:2009年1月1日
http://james.3zoku.com/kojintekina.com/physics/physics081213.html
一般相対性理論の誕生:物理の窓 2009年1月5日
(抜粋)
3 誰が「場の方程式」を発見したか?
一般相対性理論の核心となる方程式を最初に発見したのは、じつはアインシュタインではなかったと、つい最近まで 信じられていた。ゲッティンゲン大学のダーフィト・ヒルベルトがアインシュタインよりも早く同じ結論に到達していた というのである。
アインシュタインが一般相対性理論の最終論文を書きあげてプロイセン科学アカデミーで発表したのは 1915年11月25日のことで、翌週の12月3日(2日?)には印刷公刊された。
いっぽうヒルベルトの最終論文が公刊されたのは1916年 3月31日のことだったが、論文がゲッティンゲン科学協会に提出されたのは前年の11月20日、つまりアインシュタインの 論文の5日前だった。
両者はともに重力場の方程式をみちびいているが、その先取権は、もちろん5日はやく論文を提出 したヒルベルトにあると、科学史の専門家たちは考えてきた。そればかりではない。二人は研究成果についてたがいに 情報交換をしており、アインシュタインはヒルベルトに、論文を事前に送ってほしいと依頼していた。
つまり アインシュタインは公刊前のヒルベルト論文を見るチャンスがあり、それにもとづいて自身の最終論文を完成させた のではないか、と勘ぐるむきもあったのだ。20世紀を代表する数学者と物理学者をめぐる盗作疑惑である。
1997年、イスラエル、ドイツ、アメリカの研究者チームが包括的な調査を行い、この疑惑に最終的な裁定を下した。 「遅ればせの決着―ヒルベルト=アインシュタインの先取権論争」と題された論文(レオ・コリー他「サイエンス」11月14日号) は、1915年11月に繰り広げられた二人の天才の丁々発止のやりとりを伝えてまことに興味深い。



つづく