つづき (前掲で、http://ogiwara108.blog.fc&;2.com/blog-category-7.html は、NGワード規制があり余計な&を挿入しています。これを外してください(^^

 積分が定義されるとフーリエ級数を書き下すことができますが、はたして収束するか否か、収束するとすれば各点収束なのか、一葉収束なのか、収束しない点はどのように分布しているのか、収束するとしても、その極限は元の関数と一致するのかどうか、等々、基本的な問いに相次いで直面します。
コーシーが提案した微積分の再構築のアイデアの真価が、フーリエ級数を対象にして試されているかのような光景です。

 ディリクレに続いてリーマンが現れて、ディリクレの研究を継承しました。
リーマンは1826年9月17日にドイツのハノーバー王国のエルベ河畔のブレゼレンツという村に生れた人で、1846年、ゲッチンゲン大学に入学したのですが、翌1847年の春、あちこちの大学を遍歴するというドイツの大学生の習慣にしたがってベルリン大学に移り、そこでディリクレの講義を聴きました。
1849、ゲッチンゲンにもどり、1851年、「一個の複素変化量の関数の一般理論の基礎」という論文を提出し、ガウスの審査を受けて学位取得。
続いて1854年6月10日、ガウスの前で教授資格取得のための試験講演を行ない、合格しました。講演のテーマは「幾何学の根底に横たわる仮説について」というもので、これが今日のリーマン幾何学の土台になりました。

 リーマンは三つの講演題目を提示したのですが、その中からガウスが選定したのがこの講演でした。他の二つの講演のひとつは「ふたつの未知量をもつふたつの二次方程式の解法について」。
もうひとつは関数のフーリエ級数展開の可能性を論じるもので、「三角級数による関数の表示可能性に関する問題の歴史」というのです。講演のテーマには選ばれませんでしたが、内容を書き綴った論文が、「三角級数による関数の表示可能性について」という題目を附されてリーマンの全集に収録されています。
リーマンに独自の定積分の定義が現れるのもこの論文で、これを受けて今日の微積分の定積分に対して「リーマン積分」の名が定着することになりました。
 カントールの論文「三角級数論からの一定理の拡張について」(1872年)はこの流れの中に現れました。

つづく