>>253 補足

http://ocw.osaka-u.ac.jp/yukawa-memorial-jp/documents-on-dr.-hideki-yukawa-jp/
湯川秀樹博士関連資料
http://ocw.osaka-u.ac.jp/yukawa-memorial-jp/documents-on-dr.-hideki-yukawa-jp/dryukawa-osakauniversity.pdf
湯川博士と大阪大学 「適塾」 1982 内山龍雄
(抜粋)
物理学教室主任教授は八木アンテナの発明者として名高い工学博士の八木秀次先生です。

他に原子核物理学の産みの親となった故菊池正士博士とか、長岡博士の高弟で、今もお元気で活躍されている実験物理学の大御所、浅田常三郎博士、また流体力学の大家、故友近博士等、八木先生以外は、どなたも、三十才前後の若さで理学部教授、或いは助教授として赴任されました。

現在、学術会議会長として、御活躍中の伏見先生は、まだ大学出たての新米の学者であり阪大物理学教室の助手として研究に専念されておられました。
このような天下の俊秀が、衝立で間仕切りされた塩見研究所の中で、互いに良きライバルとして、また良き同僚、友人として切磋琢磨していたのですから、今から想像しても、研究所内の空気がどんなものであったか、容易にわかるような気がします。

阪大物理学教室の主任であった八木博士も、業績の揚らぬ湯川博士に業を煮やし、遂に或る日、湯川博士を呼びつけて、これを叱ったそうです。

私にこのエピソードを話して下さったか方は、丁度、この事件のとき、運よく(?)隣の間にいたのだそうです。だから、これから私が話すことは、すべて真実と思いますが、この事件を話してくれた方や、八木、湯川両先生も既に此の世を去られ、真実か否かを確かめたくとも、それは不可能です。

さて八木先生は、湯川博士にもっと勉強するよう叱った後で、「本来なら朝永君に来て貰うことにしていたのに、君の兄さんから依頼されたので、やむなく君を採用したのだから、朝永君に負けぬよう、しっかり勉強してくれなければ困る」といった意味の注意をされたそうです。

八木先生のこの小言が効いたのかどうか知りませんが、この事があってから程なく、湯川先生の第一論文「素粒子の相互作用について」が発表されました。
これは後にノーベル賞の対象となった論文です。処女論文がノーベル賞の対象になった事は、他に例が殆ど無いのではないかと思います。