『結果として、そんなに外していないということですね』に関して。

どういう数学者が京都賞を受賞するべきかに関する選考基準は「決められてない」と私は了
解しています。従って:
1.その後の受賞者として誰が選ばれたか。
2.私がどういう数学者を推薦するか。
には何の関係もないし、また関係してる必要もないし、それは重要ではありません。

例えば神戸大の野海さん(偉い人だと誰もが認めるので実名を出します)はかつて私に:
★★★『どうしてあんな人が偉いの、話も良く判らなくて面白くないし⇒へぇ〜、偉い人だったんだ!』★★★
という反応をしてました。でもだからと言って「野海さんには見る目が無い」という事にはなりま
せん。もっと極端な例は(昔の)志村先生の発言で、同級生の佐藤幹夫を評して:
★★★『最近は佐藤君みたいないい加減な数学者が居て、ああいうのは困るんだよォ〜』★★★
と言ったとか言わないとか。でももしコレが事実だとして、では「志村先生の価値が減るか」と
言えば、そんな事は当然にありませんよね。

誰を評価するかなんてのは、所詮は「極めて主観的な事柄」であり、従って例えばGromovを
評価しない人が居ても、ソレはソレですわ。私は個人的に「ああいう数学が好きだ」ってだけ
です。(つまり凄いと評価する人の中から「好みの人」を選んだだけです。)彼は問題を解いた
と言うよりも『幾何学の新しい地平を切り拓いた』という先駆者であり、あの前人未到の領域
に分け入る勇気が凄いと思います。



追加:例えば作用素環の竹崎先生は「可換図式で数学する人」が大嫌い、とかもあります。
好みはその人それぞれであり、その人の価値とは全く別なので。こういう解析至上主義を批
判する人が居ますが、でも『竹崎さんが偉大な数学者である』という事実には変わりないし。