その和魂洋才に関して。

コレを見れば、真っ先に芳雄の醜態(というか安っぽいモノの考え方)を思い出さざるを得ま
せんが、要は『中身なんてカラッポで良いので、外見だけはちゃんと繕え』というメッキ方式の
ハリボテ芳雄思想ですわ。でもコレは外国人にはきちんとバレていて、日本に長く住む友人
のロシア人某氏は苦笑いをしてましたね。でも日本人はこういう事をスルから、なので:
★★★『海外の流行の言葉を振り回してConnesのォ〜、とかGromovのォ〜ってのは批判的に見られる』★★★
というのはアルでしょうね。何せ芳雄が大好きなのは質実剛健とか、真面目で折り目正しく、
みたいなそういう「見た目の重厚感、所謂いぶし銀とかいうヤツ」なんでしょうね。なので奴は
猪突猛進のドイツ方式を褒めてましたが、でも『フランス人は軽薄で服も汚い、そやし京都人
みたいなハリボテ人種』とか言って蔑んでましたね。こういう「京都が大嫌い、パリなんてとん
でもない」という芳雄人は筑波にも沢山居てましたわ。

それで『そもそも数学とは何であるのか?』ですが、まあこういうのはその人それぞれであり、
従って「数学とはこうでなければならない」みたいな芳雄式の決め付けは危険ではあります。
私自身は『厳密でないモノは数学とは言わない』という立場であり、そして数学の完成形とは
WeilとかGrothendieckとか、ああいう『ブルバキの形式で記述出来る抽象論理の構造体系』と
いう認識です。でもこういうモノを産む為には、あの「地獄の釜の蓋を開ける」という:
★★★『アイデアと論理だけを基本として、素手でジャングルに分け入るGromovやConnesの如くの猛獣』★★★
が居て「こそ」、我々下々は明日の数学を手にする事が出来るんだろうと思いますね。

日本人であれば岡潔とか、或いは佐藤幹夫とか、まだ他にも居るだろうけど、こういう向こう見
ずの、そして『自分の好奇心にだけは絶対に忠実な人達』の役割りが重要かと。この部分に
関して私は「ウヴェールであるべし:問題意識が外部に対して開いてる事」という認識ですが、
でも『高いスキルで有名な問題を突破』という要素が重要な場合もあるだろうし、なので:
1.数学の進歩には何が本質なのか。
2.日本人にはどの可能性が選択出来るのか。
は私には判りません。