>>198
>いまは、公理的集合論を乗り越えていこうという動きが大きくなっていると思います
>その大きな動きの一つが、圏論でしょうね

関連で
下記が面白い(^^

https://martbm.hatenablog.com/entry/20170723/1500777080
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2017-07-23
ZFCの圏論での「代替」には意味があるのか?
(抜粋)
たまには、数学の「歴史」の話をしようかと思う。
ご存知のように、数学の「基礎」はカントールによって危機に陥れられた。つまり、(素朴)集合論によって。あらゆる集合を含む集合は、自分自身を含むだろうか? この答えは含むと言っても矛盾だし、含まないと言っても矛盾。正解は「それ」は「集合ではない」というものであった。では、なにが集合なのだろう? そこから、公理的集合論は始まる。
バートランドラッセルが提案した「プリンキピア・マセマティカ」は、上記のパラドックスに「直接」、パッチを当てる、という意味では、素直な発想だったと言えるであろう。コンピュータの世界では今では一般的になった「型」という考えを使ってこの問題にアプローチする方法であったわけだが、興味深いのは、この頃の「哲学者」はまだ、真面目に「数学」をやっていた、ということであろう。
しかし、この問題はそれ以降はより、エレガントに議論されるようになる。つまり、数学基礎論(=論理学)と、公理的集合論として。しかし、そこで問題となったのは「後者」であった。なぜ、公理的集合論が問題なのか? それは、一言で言えば、この「公理系」が「直感的」ではないことなのだ。

ここで大事なポイントは、「これ」が「数学の基礎」として提示されているところにある。ようするに、あまりに「人工的」な印象を受けるわけである。

つづく