>>200

つづき

もっと言えば、この公理は
強すぎる
のではないのか、という疑いが強いわけである。なぜ、こんな公理が用意されたのか? それは、上記の「矛盾」を回避するためであった。つまり、いろいろと分かっている「矛盾」を回避しながら、かつ、

今ある「全て」の数学を成立させる
ための「基礎」となる公理はなんなのか、として「探された」結果として、この姿があるわけで、少しも「直感的」な理由から選ばれていないわけである。
もちろん、このZFCが矛盾がないのであれば、それでいいと言えるのかもしれない。しかし、矛盾がないことはゲーデルの不完全性定理から、それが言えると考えることには限界があることが分かっている。しかし、とりあえず今のところは矛盾は見付かっていない。だったら、これでいいんじゃないかと考えるかもしれないが、ようするに

これが「数学の基礎」と言うには、あまりに「人工的」なんじゃないのか?
という、気持ち悪さが残っているわけである。
この問題に対して、おそらく数学の「歴史」は、今までのところ、あまりはかばかしい達成をあげていないんじゃないのかと思っている。ただ、一つ。まあ、昔から知られている結果ではあるが、おもしろいアプローチが知られている。

それが、
カテゴリー(圏論)
である。

つづく