まだわからんようだ
先ず概念が存在する
その構成要素に観念がある
観念から概念は生ずるが
決して先に観念があるわけではない
してみると観念が存在するという日本語はないし
ないものを仮定するという日本語も存在しない

ある と 存在する ←在る・有るという日本語は日常用語(意味が変動する)なので気をつける

ある と ない    ←無いも同様に日常用語である(零・無など)

には違いがある

存在するとは与えられた
または自分で構成したを意味し(概念の構成) ←神学論争(形而上学)は除くという意味
あるとはその概念の中の生成物をいう
これを観念と呼ぶ

存在概念から生じたものにあるとないが生まれる
存在概念から生ずるとは観念があるということである

どうやら日本人は戦後教育によって言語を読めなくなったようだ

たとえばどうだろう

敵を知り己を知れば百戦危うからず

とあるが現代人はこの文を読むと

相手を知り次に自分を知れば

または

自分を知り相手を知れば

と読むらしい

これは数学ではない

まず自分を知る

そして相手を知る

そこから物事が生まれる