>>23 補足
(引用開始)
反例構成>>27-29では、時枝の手法を抽象化して、
”有限の数Dを決める方法は、時枝記事の通りでもいいし、別の方法でもいい。
選択公理を使っても使わなくてもいい。
但し、数学的に正当化できる手段でなくてはならない(例:こっそり箱を覗くなどはダメです)”
としてある

だから、プレーヤー1とプレーヤー2とか、同値類うんぬんとか、無関係
なんでもいいから、可算無限長の数列が構成できて、ある有限の数Dを決める方法があって、D番目の箱だけを未開封にして、他の箱を開けて、他の箱の数の情報から、D番目の箱の数を確率1-εで的中させる手法があれば
そういう手法の存在は、現代数学の関数の定義に反するのです
(引用終り)

要するに、時枝の手法そのものでも良いし、他の手法でも良い
可算無限の数列が構成できたとして
ある数学的手法で
ある有限のDが存在して、D番目の箱の数のみが不明で、D番目の箱の数が判明すれば、D番目の箱の数から確率1-εで、D番目の箱の未知数XDについて、それはrDだと的中できる。つまり、XD=rDである確率は1-εだと

現代数学の関数の定義からは、そうはならない
現代数学の関数の定義f:R→R
で、集合Rと集合Rとの任意の対応ですから

可算無限の数列なんて、R中の任意のε近傍の中にいくらでも取れる
とすると、関数f:R→Rで、任意のε近傍中に、確率1-εで的中できるXDたちが、わんさか存在することになる
そうなると、関数論の教科書の書き直しだわ(そんなアホ書いてある集合論や関数論の教科書ないよw(^^; )