>>97
>ピエール・ドリーニュ

下記は、(抜粋)の数倍あるが、一応引用するね
http://taro-nishino.blogspot.com/2019/03/blog-post035.html
TARO-NISHINOの日記
ピエール・ドリーニュへのインタビュー
(抜粋)
3月 21, 2019

最終ヴェイユ予想を解決したのは、御存知ピエール・ドリーニュ博士ですが、アホ学部学生が読んで少しは満足するだろう記事
"Interview with Pierre Deligne"(PDF)がタイミングよくNotices of the AMSの2月号に載っていましたので、以下に私訳を載せておきます。
http://www.ams.org/notices/201402/rnoti-p177.pdf

青年時代
Raussen and Skau: 貴方はブリュッセルで第2次世界大戦終りの1944年に生まれました。貴方の最初の数学的体験を聞きたいです。どんな点で、貴方自身の家庭または学校により数学的体験が育まれましたか? 最初の数学的体験を憶えていますか?

ドリーニュ: 兄が私より7歳年長なことが幸いだった。私が温度計を見て正と負の数があると認識した時、彼は−1×−1が+1であることを私に説明しようとしたものだった。それは大きな驚きだった。後に彼が高校生の時に、3次方程式に関するノートを私にくれ、奇妙な解の公式があった。大変興味深く感じた。
私がボーイスカウトだった時、驚くべき幸運があった。そこで父親が高校教師のNijs氏である友を得た。Nijsはたくさんの方法で私を助けた。特に彼は私に最初の実際の数学の本、すなわちブルバキの集合論を与えたが、それは一少年に与える当然の選択でない。
その時、私は14歳だった。その本を消化するのに少なくとも一年かかった。こっそり他の講義もあったと推測する。

つづく