私ははこの件の記事からナゾナゾまでの時系列は知らないので確証はありませんけど。
このナゾナゾは先にのべた意味での確率空間上での議論はもちろんできません。
むしろナゾナゾのルールでは確率100パーセントで100人中99人は箱の中の実数を当ててしまいます。
そこには確率論で議論される所はむしろひとつもありません。
ではじゃあ時枝先生の記事は確率論ではなかったのか、時枝先生は確率論ではない話を意図してあの記事を書かれたのかという話になるのかと言われればもちろんそんな事はないでしょう。
あのナゾナゾの作者が時枝記事にインスパイアされて理論を考え出したにしても、また、エッセンスの中に時枝記事の話がどんなに色濃く反映されてはいても、やはりあのナゾナゾは時枝記事とは別物です。
数学の文章を読み手が自分の理解しやすいように、適当に読み替えたりするのは自由だし、あるいはその理論から発想して新しい別の理論を作るのも自由ではあります。
しかしそれはもはや元の話とは別問題を議論しているに過ぎませんし、その話に矛盾がなかったとしても、元の問題が正当化された事などにはなりません。
あと、このナゾナゾを利用して、そして時枝記事中の "確率" という単語と整合性をつけるために "記事中の確率は100人の数学者のうちの1人を選ぶ確率" という意見がありますが、これには全く同意できません。
やはりこの意見は時枝記事にインスパイアして出てきた面白いナゾナゾと時枝記事の"確率"という単語に無理クリ整合性を持たせているだけに過ぎません。
やはり時枝先生の記事を読んでコレを確率論の理論として正当化できるかレポートを書いてみろと言われたら既に私がココで書いたような内容になるでしょう。
もちろんクリエイティブな人ならそこから例のナゾナゾのようなものもレポートに書けるかもしれません。
しかしそれはまた別の話でそれによって時枝記事が正しい確率論の理論として理解しうる記事という結論をつける事はできません。