>>695の続き
アイヌからオロッコと呼ばれたウィルタともアイヌは交易していた。
1457年には道南でコシャマインの戦いが生じ、勝利した蠣崎氏が台頭した。
蠣崎氏を祖先とした松前藩はアイヌとの交易を独占し、
アイヌから乾燥鮭・ニシン・獣皮・鷹の羽(矢羽の原料)・海草を入手し、
対価を鉄製品・漆器・米・木綿などで支払っていた。
また、清から伝わった蝦夷錦などの衣服を当初はアイヌを介し輸入した(山丹交易)。
北千島を除き、郷村制が敷かれ、アイヌの有力者を役蝦夷に任命。
アイヌは百姓身分に位置づけられていた。
1669年のシャクシャインの戦い後には、交易はアイヌにとって不利な条件となった。
江戸幕府はロシアからの軍事圧力に対抗して蝦夷地を幕府直轄領とした。
幕末、箱館奉行によって、アイヌも和人も分け隔てなく疱瘡対策の種痘を行い、
同時にアイヌの呼称は「蝦夷」から「土人」に改称された。
これは当時、純粋に「土地の人」や「地元の人」の意味で用いられた言葉である。