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つづき

1 序
筆者は、デデキント (Julius Wilhelm Richard Dedekind,1831-1916) の 1850 年代のガロア講
義 ([1]) の位置づけを試みようとしてきて、 こうした壁にぶつかってきた。 その中で、 次第に確信
するようにな,2 てきたことがある。 それは、 素朴ではあるが、集合論的思考に注目する、 というこ
とである。 19 世紀にはまだ集合論的思考は定着していないこと、代わりに彼らが依拠していたも
のは、 当時の数学の基礎であったこと、 この両方を常に念頭におくことが不可欠ではないかと考え
られるのである。 当たり前のようなこれらのことを、 うまく歴史叙述に取り入れていくのは簡単で
はないが、 ここでは、 いくつかの話題 (商群ないし剰余類分解、体論) について述べておきたいと
思う。

2 代数学の基礎
現代代数学の体系においては、体概念よりも群概念の方が、 より基本的な存在であるが、 19 世
紀の文献では、 しばしば体概念の方が、 より基本的な存在として捉えられていた。 しかも、 群概
念も体概念も普及してきたと思われる 19 世紀末以降にも、そうした傾向が見受けられる。 Weber
の “Lehrbuch der Algebra“ (1890 年代) では、体の理論が群の理論よりもはじめの方におかれてい
る。 Bourbaki- の “Elements” の草稿段階においてさえ、 体の理論の方が先にきていたといわれて
いる。 (Beaulieu [2],mathrm{p}.247.$ )
19 世紀末には、群は数学全体にとって重要であることが認識されてはいたが、演算をひとつし
かもたないがゆえにもっとも基本的なものであるとは認識されていなかったのではないか。

そもそも演算がひとつし
かないからもっとも基本的であるという思考法は、 現代代数学の思考法そのものである。

つづく