>>279
赤堀庸子さん、追加文献下記
赤堀庸子さん自身については、殆ど検索ヒットせず(京都数理研所属のときがあったようだが)

(参考)
https://www2.tsuda.ac.jp/suukeiken/math/suugakushi/sympo27/27_akahori.pdf
デデキントの生涯(2)*
赤堀庸子 1
津田塾大学数学史 シンポジウム 2016109

1.3 18804手 代

クロネッカーの発言でもうひとつ 目を引くのは、『連続性 と無理数』について全 く言及
されていないことである。後述するパ リアカデミーで も似たような状況があ り、受け入れ
られるのに時間を要 したことが窺える。
ちなみに、他の数学者がアカデミーに受け入れられた時期は、次のようである。(?
p74)
リーマン(1859)、 クロネッカー (1861)、 ハイネ(1863)、 ザイデル (1863)、 クリス トフェ
ル (1868)、 クレプシュ(1868)、 リプシッツ (1872)、 シェリング (1875)。

https://www2.tsuda.ac.jp/suukeiken/math/suugakushi/sympo26/26_akahori.pdf
デデキントの生涯 (1) *赤堀庸子1
*津田塾大学数学史シンポジウム. 2015.10.11

著作の出版の様子も変わっていて、まず 40代はじめに大部の「代数的整数論」(その他集合論関連の著作)が発表されて、それから後論文執筆活動が晩年まで続くといった形になっている。そのようにして一生をかけて集合概念に基づいた数学の構築に取り組んでいく。こうしたデデキントの人生について、一度振り返っておくことも無駄ではないと思われるので、本稿を起こした次第である。初めに、デデキントの生涯について、要点を振り返っておこう。1831 年にブラウンシュヴァイクに生まれる。ゲッティンゲン大学で 1850-58 年に数学を学ぶ。

つづく