>>622-623
(引用開始)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/emath1996/2002/Autumn-Meeting1/2002_Autumn-Meeting1_42/_pdf/-char/ja
証明論について
新井敏康(神戸大学自然科学研究科)
2002年9月27日

Hilbertの考え方はこうである。数学の対象には2種類ある:
realなものとidealなものと。realなものの代表は自然数であり、idealなものの典型は抽
象的・超限的な集合、自然数全体の集合ωのpowersetIP(ω)(=continuum)のpower
setP(P(ω))(realvaluedfunctions),etc.である。

Hilbertの眼前には、一方で集合論の逆理があり、他方にその集合論を用いた超限
的で神学的とも評された新しいスタイルの証明があった。後者はL.Kronecker「自
然数は神の御業だが、それ以外の数は人間がつくった」,L.Browerらにより強烈に
批判されていた。そこで、Hilbertは超限的な数学の無制限の使用に制約を加えなが
らそれを擁護しなければならなかった。そのためのひとつの取り得る道筋が、対象
の二分化とidealなものの権利保証として、「idealなものは原理的には単なる「言
葉の綾(figureofspeech)」に過ぎず、realな命題はそれなしでも示し得る」ことを
示していくことにあった。
(引用終り)

ここを補足すると
Hilbertがこれを考えたのは、20世紀初頭。つまり、ちょうど100年ほど前なのだ
”対象の二分化とidealなものの権利保証として、「idealなものは原理的には単なる「言
葉の綾(figureofspeech)」に過ぎず、realな命題はそれなしでも示し得る」ことを
示していくことにあった”
とあるけど、
もう時代が変わってしまったんだ

つづく