>>825-826 補足

星裕一郎語録:>>825
毎日色々研究上の着想を得ますが,その一部は感覚的で,忠実に記録・出力できません.着想の本質と出力可能部分の交わりが小さい場合があると言うべきでしょうか.その為,せめて何らかの記録可能な段階まで理解を深めようと時間を使い,他事を怠ってしまいます

渕野語録:>>826より
多くの数学の研究者にとっては,数学は,記号列として記述された「死んだ」数学ではなく,
思考のプロセスとしての脳髄の生理現象そのものであろう
したがって,数学はその意味での実存として数学者の生の隣り合わせにあるもの,と意識されることになるだろう
そのような「生きた」「実存としての」(existentialな)数学で問題になるのは,
アイデアの飛翔をうながす(可能性を持つ)数学的直観」とよばれるもので,
これは, ときには,意識的に厳密には間違っている議論すら含んでいたり,
寓話的であったりすることですらあるような,
かなり得体の知れないものである
(引用終り)

(補足)
数学科出身をかたるおサルが、以前εδ論法の記号を暗記していて、
「おれはこんな難しい数学を、数学科で学んでいるのだぁ」と自慢していたね
だが、εδ論法自身は、19世紀の厳密性に過ぎないのであって、

21世紀には、近傍系を使う位相空間や、フィルターや、超準解析などなど、
それらを総合的に理解して、適材適所の使い分けを理解すべし
あるいは、いろんな理論をミックスした、おれさま理論を作るべし

それが21世紀の数学ですよ
数学科出身をかたるおサルの受けた教育は、もう古いんだよね(^^

つづく