もっとシンプルと思うのだが。

雑誌の論文投稿者としてするべきは、
論文に指摘があるときに、著者がするべきは、論文に誤りがあるなら、認めるか修正する、誤りでないなら反論する。

ディミトロフ、ヴェンカテシュの指摘→論文を修正した。
ショルツェの指摘はSS文書で回答した→ショルツェのSS文書反論の返答待ち。

編集委員会は「SS文書の著者反論にショルツェ側の再反論がない」と明言した。
それが大切なことで、編集員会が公言したことで、公的にショルツェは「数学的に反論していない」ことになり、
論文著者および査読者は、SS文書には「これ以上何もすることもないし必要もない」、処置をしている。

まず、その明言をされた時、ショルツェは「いや遅れただけ。反論がある」と、「著者の反論」に対する反論をするべきだが、行っていない。
今からでもショルツェは「遅かったが数学的な反論は〇〇である」と文書を出すこともできる。

>>数学の研究を勝ち負けを競うゲーム
でなくなるように、処置されている。

編集委員会は「SS文書に関してはショルツェの反論がない」と公言して区切りをつける手順で処置済だから、
ショルツェが「数学的な反論文書を提出するステージがない」前提条件があるが、「SS文書に関して決着済」の手順で、処置済だよ。

だから査読に関して、「公的な指摘者がなければ完了」で、指摘者の「誤解を解くこと」は必須ではない。
望月の何か誤解を解くのを期待する、のは過剰だし、無用だよ。