>>780 余談

ふと見つけた 小沢 登高氏の”わらしべ”物語
”たった一人になったおかげで、死にもの狂いの努力ができた。 修士論文も書けた。 Texasに来るときはPisierに何か課題を与えてもらおうとか進路を 指導してもらおうとか考えていたのだが、 今になって振り返れば、そうならなくて本当に良かった”
か。でも、実力もあるんだ当然、きっとね

https://www.kurims.kyoto-u.ac.jp/~narutaka/rireki.html
小沢 登高 履歴書(非公式版)

1997年4月 東京大学大学院数理科学研究科修士課程入学
河東先生と泉先生の指導の下、作用素環を学んだ。 ひょんなことからマイナー分野であった作用素空間論の勉強を始める。 夏休みはWassermann講義録やKirchberg論文などを読む。 この年の秋に河東先生に薦められて、 作用素空間論の専門家であるテキサス農工大学(以下、TAMU)のPisierのもとに 留学することを決意。

1998年7月1日 Texas到着
7月中旬のワークショップでPisierに会ったが、 彼は8月になるとなぜかParisへ帰って行ってしまった。
驚いて彼から以前もらった電子メイルたちを調べたところ、 秋はParisにいるから私の面倒は見られないとハッキリ書いてあった。 英語で書いてあったので、それまで読まなかったのだ。 それから五ヶ月間ほとんどまったく他人と話さなかった。 たった一人になったおかげで、死にもの狂いの努力ができた。 修士論文も書けた。 Texasに来るときはPisierに何か課題を与えてもらおうとか進路を 指導してもらおうとか考えていたのだが、 今になって振り返れば、そうならなくて本当に良かった。 一年間住んだアパートはむやみにでかかった。 自家用車も公共交通もなく、人とも付き合わなかったので、 生活にはいろいろ不便した。 特に空港まで行くのには難渋した。

つづく