>>473 追加

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外積代数
歴史
外積代数は1844年、『拡大の理論』(Ausdehnungslehre) の包括的な言葉の下にヘルマン・グラスマンによって初めて導入された[注 8]。これはもっと一般に量の拡大の代数的(あるいは公理的)な理論について言及しており、また早い時期における現代的なベクトル空間の概念のさきがけの一つとなっている。アデマール・ジャン・クロード・バール・デ・サン=ブナン(英語版)もまた同様の exterior calculus の概念を著しており、それがグラスマンに先駆けて成されたものと主張した[6]。

外積代数それ自身は、アーサー・ケイリーとジェームス・ジョセフ・シルベスターの重ベクトルの理論の形式的側面を捉えたいくつかの規約あるいは公理から組み立てられたもので、それゆえに幾何学的な言葉での形式的な理由付けの面を抜きにすれば、命題計算のような「計算」(calculus) の類である[注 9]。 特にこの新たな発展は、それまで座標の観点からのみ説明されてきた性質である次元の概念の「公理的な」特徴づけを可能にした。

このベクトルと重ベクトルに関する新しい理論の重要性は19世紀半ばまでには失われ、1888年にジュゼッペ・ペアノによって詳しく調べられるまで顧みられることは無かった[7]。ペアノの仕事にも幾分不明瞭な部分が残されていたが、世紀が変わる頃には、微分形式の計算にグラスマンのアイデアを応用したフランス高等師範学校のメンバー(有名どころはアンリ・ポアンカレ、エリ・カルタン、ジャン・ガストン・ダルブーら)によって主題の統一をみた。

そのしばらく後にアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドはペアノとグラスマンのアイデアをもとにして普遍代数を導入する。これは確固たる論理的基礎の上に代数系の公理的な概念を与えることで、20世紀の抽象代数学の発展を可能にした。