>>746
>>アレフ1はカントールの立場では必ずしも集合ではなく、
>>一方ZFC内では集合
> エテ公のでっちあげた偽カントルの立場など
> 決して考慮してはならないw

ここ重要だし、面白いから、突っ込むよw
下記のen.wikipedia Cardinality などご参照

1)歴史、人間による濃度=カーディナリティの表現は 4万年前
 紀元前 3000 年までにシュメールの数学で、数字を考えたらしい(60進法で、いまでも時計や1ダースなど名残あり)
 古代ギリシャ時代に、無限は考えられていた(古代インド数学でも)
2)カントールは、可算無限と非可算無限の区別を与えた
 しかし、濃度や順序数は、あくまで従来の自然数の濃度の拡張であった
 実際、下記『「セットのカーディナリティ」を定義するには 2 つの方法があります
 1.集合Aのカーディナリティは、等数におけるその等価クラスとして定義されます』
 下記の2の方法は、『公理的な集合論における基数の定義として採用されます』とある通り
3)カントールの集合論は、素朴集合論であって『公理的な集合論』ではない
 だから、素朴に従来の自然数の拡張で可算無限を考え、その延長で非可算無限を考えた
4)これを、『公理的な集合論』の視点で批判すると、”等価クラス”がZFCに馴染まない
 つまり、ZFCはクラスを扱わないのです(下記)

(参考)
https://en.wikipedia.org/wiki/Cardinality
Cardinality
(google訳(一部修正))
セットのカーディナリティは、セットの要素の数の尺度です。たとえば、セット
A={2,4,6}3 つの要素が含まれているため、
Aのカーディナリティは 3 です。19 世紀後半から、この概念は無限集合に一般化され、さまざまな種類の無限を区別し、それらに対して演算を実行できるようになりました。基数には 2 つのアプローチがあります。1 つは全単射と注入を使用してセットを直接比較するもので、もう 1 つは基数を使用するものです。[1]

つづく