D.A.におけるガウスの記述をみると、こうなったのはむしろ不思議。
「アーベルの不可能性の論文」とガウス
E.T.ベル著『数学を作った人びと』より

「アーベルは自費で――金の工面については神のみぞ知る
――印刷した。それはかなり粗末な印刷物ではあった
が、後進国ノルウェーでは上出来のほうであった。うぶ
なアーベルは、これが大陸の大学数者たちに近づく学術
的パスポートになりうると信じていた。なかでも、ガウ
スがこの業績のめざましい価値を認めて、形式的な面会
以上のことをしてくれるだろうと考えた。この《数学の
王者》が、ただ認めてもらいたいばかりに懸命に努力し
ている若い数学者たちに示すのは、単なる王者らしい鷹
揚さだけであることをアーベルは知らなかった。
ガウスはまさしくその論文を受け取った。公平無私な
証人たちの口から、ガウスがどんな風にその供え物を受
け取ったかをアーベルはきいた。ガウスはあえて論文を
読もうともせず、「ここにもまたばけものがいる!」と
叫んで、それをわきへほうり投げてしまったのであった。
アーベルはガウスを訪れまいと心にきめた。それ以来彼
は、ガウスをはげしくきらい、折りあるごとにガウスを
こっびどくやっつけた。彼は、ガウスがあいまいな叙述
をするといい、またドイツ人は少しガウスのことを重視
しすぎるとほのめかした。このまことにもっともな嫌悪
のおかげで、ガウスとアーベルのどちらがより多くを失
ったかは,未確定の問題である.