>>303
>車椅子対局の詳細が書かれていて面白かった。
>趙治勲の奥さんは小林光一と同じ小学校だったのか。
>旭川へは函数論シンポジウムで一度行った。

・図書館で読んできました
・読売新聞が、結構手厚い手配をしたのですね
・小林さん、4-2で棋聖位を奪取
・小林さん、初戦は勝ったが、2局目を負けて、3局目から自分だけ畳にしてもらって牢名主状態だったが3局目も負けた
・そこから巻き返して、3連勝か。交通事故がなければとは思いますが、小林さんの実力でもあります
・下記によると、1986年 棋聖戦の前 1985年 第10期名人戦でライバル趙治勲名人に挑戦し4―3で破り初の名人位に就くとあります
・木谷門の俊英の中では遅咲きだが、1985年 賞金ランキング1位なら30代半ばで棋界の頂点だから立派なものです

(参考)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD19ANJ0Z10C24A4000000/
趙治勲 私の履歴書(18)無冠転落 日経
囲碁棋士・名誉名人
2024年5月19日 2:00 [会員限定記事]
交通事故で重傷を負って1週間余り。主治医は「まだ囲碁を打てる状態ではない」との見立てだったようだが、ボクは何としてもタイトル戦の不戦敗は避けたかった。

開催地は富山県高岡市。車いすでの移動がやっとという状況だったため、主催の読売新聞社が小型ジェット機を飛ばし、主治医と妻が同伴してくれた。病院から羽田空港、それから富山空港から対局場まではいずれも救急車という大がかりなものだった。

対局はもちろん車...

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9E%97%E5%85%89%E4%B8%80
小林 光一(こばやし こういち、1952年9月10日 - )は、囲碁のプロ棋士。
1974年 13歳年上の女流棋士 木谷禮子(師匠木谷の三女)と結婚。
1976年 八段に昇段。
1977年 第2期天元戦で杉内雅男九段を3-1で下し初のビッグタイトル天元戦優勝。長女泉美誕生。この頃弟子を受け入れ始める木谷師匠の婿であるため木谷道場に入門を希望していた子どもたちを任される流れになった[2]。1978年 (26歳) 九段に昇段。
1982年 本因坊戦挑戦。
1984年 第22期十段戦で兄弟子の加藤正夫十段を3-2で破り初の十段位、二度目の公式タイトルに就く(以降、三連覇)。
1985年 第10期名人戦でライバル趙治勲名人に挑戦し4―3で破り初の名人位に就く。同年、第11期天元戦で兄弟子の石田芳夫天元を3-0で破りタイトル奪取。第23期十段戦で兄弟子の大竹英雄九段を3-0で破り防衛。賞金ランキング1位。
1986年 第10期棋聖戦で趙治勲棋聖を4-2で破り棋聖奪取。趙治勲棋聖の四連覇を阻止。一気に四冠王となる。第24期十段戦で武宮正樹九段を3-0で破り防衛。第33期NHK杯優勝。賞金ランキング1位。
1987年 第11期棋聖戦で武宮正樹本因坊を4-1で破り防衛。
1988年 第12期棋聖戦で加藤正夫名人を4-1で破り防衛。第13期碁聖戦で加藤正夫九段を3-0で破りタイトル奪取。第13期名人戦で加藤正夫名人を4-1で破りタイトル奪取。この時期、日中名人戦などで対戦した中国棋士をことごとく降し、中国では「鬼小林」と呼ばれ恐れられた。賞金ランキング1位。