>>238
>保阪正康って名前を見た瞬間、読む気が完全に失せた・・・

では、いましばしw ;p)

保阪正康は、下記か
同志社大 2023 (>>232
の講師役は、「同志社大学文学部社会学科卒業」だからだね

”京都の私大に通っていた時は60年安保に反対する学生運動に参加する左翼系の学生”
だったかw ;p)

(参考)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E9%98%AA%E6%AD%A3%E5%BA%B7
保阪 正康(ほさか まさやす、1939年(昭和14年)12月14日 - )は、日本の作家・評論家[1]。

北海道札幌市生まれ、二海郡八雲町育ち[2](なお、自著のプロフィールでは「北海道生まれ」のみと表記し、出身市町村については明記していない[3][4][5])。

経歴
北海道札幌市で教員の父親のもとに生まれる[6]。父親は群馬県、母親は江別市出身[6]。父親の勤務の関係で、生後間もなく江別市に移り、3歳で福島県二本松市、5歳で北海道二海郡八雲町に移る[6]。そのまま八雲町で終戦を迎え、小学校6年まで同町で育った後、根室市を経て札幌市白石町(現・札幌市白石区)に移った[7]。札幌市立柏中学校、北海道札幌東高等学校を卒業。阿部典英は中学高校の同級生[8]、西部邁は中学校の1年先輩に当たる[9]。同志社大学文学部社会学科卒業。在学中は演劇研究会で特攻隊員を描いた創作劇を執筆。

人物
札幌の高校生時代、北海道大学のシナリオ研究会に入会し、先輩に唐牛健太郎がいた。京都の私大に通っていた時は60年安保に反対する学生運動に参加する左翼系の学生であり、1960年6月の運動最盛期にはそれまでの地元の商店主やタクシー運転手から『迷惑だ』との怒声がなかったこと、反対デモ参加者の多くは安保条約改定の中身を知らなかったことを明かしている[12]。