>>247 補足
>昭和天皇・マッカーサー会見

国破れて山河あり『❷現代では、特に第二次世界大戦に敗れた後、空襲の焼け跡に立った多くの日本人たちが、この句を実感を込めて思い起こしたのでした』

昭和天皇・マッカーサー会見は、11回も行われたのです
マッカーサーが、昭和天皇を重視していたことがわかる
それは、マッカーサーを心服させる第1回会見にあった

各国の事例を見れば、海外に亡命脱出する指導者は多い
国内に留まって、マッカーサーのような人物と対峙した指導者の例は希有でしょう
肝の据わってる人だった

これは、外からあれこれ言われて、そういう人物になれるものではない
帝王学ですね。トンボの研究者として大学に残るわけではないだろうが
一つの経験として、東大でトンボの研究者をしてみたいと、成人 悠仁氏が思えば
それもありだろう

大学のあとは、皇族としてのおつとめと、その後は天皇としてのおつとめと
あまり、自分の自由はなくなる
悠仁氏は、日本国憲法では 普通の「国民」ではない
形式的な「国王」になるお方なのです

(参考)
https://kotobank.jp/word/%E5%9B%BD%E7%A0%B4%E3%82%8C%E3%81%A6%E5%B1%B1%E6%B2%B3%E5%9C%A8%E3%82%8A-2236145
コトバンク 故事成語を知る辞典 「国破れて山河あり」の解説
国破れて山河あり
戦争によって国が荒廃してしまったことを嘆くことば。また、人間の愚かな営みが、自然の前ではいかに無意味かを表すことば。

[使用例] 国破れて山河在りと往おう昔せきの詩人は歌ったが、私共旧東京人は国破れて山河も共に喪ってしまった[正岡容*滝野川貧寒|1948]

[使用例] 稲葉山城下に入ったとき、この多感な男は、涙があふれてくるのをどうすることもできなかった。(……国破れて山河あり城春にして草木深し、とはこういう感傷をいうのであろう)[司馬遼太郎*国盗り物語|1963〜66]

[由来] 中国の詩人、杜と甫ほの詩「春しゅん望ぼう」の冒頭。七五五年、安あん禄ろく山ざんという武将の反乱によって、唐王朝の泰平の夢は破られました。反乱軍は、翌年には都を攻め落とし、皇帝までもが逃げ出してしまいます。そんな七五七年のある春の日、反乱軍の制圧下にあった都にいた杜甫が作ったのが、この作品。「国破れて山河在り、城春にして草木深し(都は戦乱で荒れ果たが、山や川は変わらぬまま。城壁にも春が訪れて、草木が生い茂っている)」とうたい始めた後、混乱した世の中を嘆き、離れ離れになった家族を案じ、最後に、そんな中で何もできないままに年老いていく我が身を悲しんで、終わっています。

[解説] ❶争いを繰り返しては死んでいく人間たちと、悠久の大自然。その対比をコンパクトに表現したこの一句は、昔から日本人にも愛されてきた、杜甫の絶唱。中でも、かの松尾芭蕉が「おくのほそ道―平泉」で引用しているのは、有名です。❷現代では、特に第二次世界大戦に敗れた後、空襲の焼け跡に立った多くの日本人たちが、この句を実感を込めて思い起こしたのでした。