坂本堤弁護士一家殺害事件 1989年
”岡アが坂本宅に向かうとドアに鍵がかかっていないことが判明した”
そして、一家全員が、オウム真理教によって殺害されたのです

国家も同じだ
ドアに鍵がかかっていない国家は、悪党に侵略される
国家は、悪党に対抗する知恵(外交)と力(防衛力)を持つべきです

(参考)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E6%9C%AC%E5%A0%A4%E5%BC%81%E8%AD%B7%E5%A3%AB%E4%B8%80%E5%AE%B6%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
坂本堤弁護士一家殺害事件(さかもとつつみべんごしいっかさつがいじけん)は、1989年(平成元年)11月4日に日本の神奈川県横浜市磯子区洋光台三丁目で発生した殺人事件。旧オウム真理教の幹部6人が、オウム真理教問題に取り組んでいた弁護士の坂本堤(当時33歳)とその妻子合わせて3人を殺害した事件である[2][3]。

横浜へ
予定では、坂本が通勤で利用する横浜市磯子区のJR洋光台駅付近で待ち伏せし、車に連れ込み塩化カリウムを注射して殺害し、遺体をそのまま運び去る計画であった。しかしこの日は祝日(文化の日)であることを中川以外忘れていたため、坂本は現れなかった。中川がそのことを指摘すると、新実は中川を指さして「かしこい」と褒めた。このため、一行は同区にある坂本の自宅に向かった[23]。

22時、岡アが坂本宅に向かうとドアに鍵がかかっていないことが判明した。早川はこれを麻原に電話連絡し、同時に坂本の「付属物[24]」すなわち家族をどうするかが検討された。麻原は「ほほう、そうか。じゃ、入ればいいじゃないか。」「(家族を巻き添えにすることは)しょうがないんじゃないか。一緒にやるしかないだろう。」と一家全員の殺害を命令した[6][12]。麻原は検事調書の中でこの時の心境を「私は一瞬、子どものことが頭に浮かびましたが、私も小さいときから親から離れて苦労しており、子どもだけ生き残らせても逆に残酷だと思い、殺害を許可した」と語っている[25]。

決行
念のため早川と新実が日産・ブルーバードで洋光台駅に向かい、他の4人は坂本宅近くに停めたビッグホーン内で待機して最終電車まで待ったが、坂本は現れず家にいると判断、翌11月4日3時頃に自宅に侵入し、寝ている坂本一家を発見した。

抵抗が激しく中川が手間取ったため誰にも塩化カリウムをしっかり打てず、窒息させて一家全員を殺害した[6][26][27]。