>>398
>仮に、三角関数を、絶対値1の複素数を底とする指数関数の実部と虚部、として定義するなら、
>加法定理の公式は当たり前になってしまう

君は、一つ良いことを言った
もし私が、足立左内のように、ゴローニンから 「加法定理」の証明は? と聞かれたら
オイラー公式 e^i(a+b)=e^ia * e^ib
左辺は cos(a+b)+i sin(a+b) 右辺は {cos a+ i sin a}*{cos b + i sin b}
右辺の展開から 直ちにでる
e^ia=cos a+ i sin a は、テーラー展開(マクローリン展開とも)から従う
そう答えるだろう

しかし、普通の高校生に直ちにこれを、教えるわけにはいかない
数学の教程は、しばしば歴史の順に学ぶことが、理解させやすいし また 理解しやすい
と同時に、”できるだけ高い視点から見る”ということも重要でね

足立左内は、それができたのだろう

(参考)
https://kotobank.jp/word/%E8%B6%B3%E7%AB%8B%E5%B7%A6%E5%86%85-1050120
コトバンク
足立左内(読み)あだち・さない
朝日日本歴史人物事典 内田正男
没年:弘化2.7.23(1845.8.25)
生年:明和6(1769)
江戸幕末の天文方。名は信頭で生家の姓は北谷,大坂御鉄砲奉行同心の足立家に養子に入り,養父の左内を襲名した。麻田剛立 の弟子で高橋至時,間重富に次ぐ実力者。寛政8(1796)年改暦御用の命を受け,至時の手付(属吏)となり,京都において御用を勤め,翌9年改暦御用済みとなり大坂の元の職に戻ったが,その学識才能を惜しむ間重富らの奔走で,文化6(1809)年同心の身分のまま暦作御用を命ぜられ,江戸に出役して高橋景保の手付となった
特に語学に天分があり,文化10年馬場佐十郎と共に松前に出張してロシア語を学び,ロシア人との交渉に携わった。この間のことはゴローニンの『日本幽囚記』に詳しい。
帰府後貰い受けてきたロシア語の辞書を幕府に提出し,その取り調べを命ぜられた。天保6(1835)年『魯西亜辞書』を完成,同年11月天文方に昇任。この間,外国船が来航するたびに通訳として浦賀・大津浜におもむいた。また渋川景佑と共にオランダ語の天文書『ラランデ』をもとに『新巧暦書』(40冊),『新修五星法』(10冊)を完成し,それを参考にした天保改暦にも参画した。なお,没日は過去帳や墓誌では7月1日没,上記は『天文方代々記』による

https://kotobank.jp/word/%E8%B6%B3%E7%AB%8B%E4%BF%A1%E9%A0%AD-1050125#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E7.89.88.20.E6.97.A5.E6.9C.AC.E4.BA.BA.E5.90.8D.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E5.85.B8.2BPlus
コトバンク
足立信頭 あだちしんとう 渡辺敏夫 日本大百科全書(ニッポニカ)
(1769―1845)
江戸後期の暦術家。大坂の医者北谷琳筑(りんちく)の子。通称左内、字(あざな)は子秀、渓隣(けいりん)と号した