>>827
ご苦労様です

正力松太郎は、”富山県射水郡大門町(現:射水市枇杷首)”出身だったか・・
東大法学部出身の警察官僚だったが、戦前の虎ノ門事件*)で、警視庁警務部長を辞任
下記 ”後藤新平の助力のもと経営難で不振の読売新聞を買い受けて”とあるが、実は後藤新平からの借金で
それが実は、後藤新平は 自分の家屋敷を抵当に銀行から借金したみたいな話だった記憶があります

いまでこそ 新聞ナンバーワンの読売ですが、後発でしてね
そこで、正力松太郎が考えたのは、自分でイベントを打って それを新聞ネタにして記事を書いて 新聞を売りまくる戦略で
その路線の延長が、プロ野球の読売ジャイアンツだった
囲碁では、呉清源の十番碁だった

(参考)
*)虎ノ門事件 wikipediaによれば 現商船三井ビルの近くらしいですね
商船三井ビル は、仕事で何度か行ったが 気づかなかったな
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/14/Monument_of_Toranomon_-01.jpg/500px-Monument_of_Toranomon_-01.jpg
港区にある虎ノ門の碑。事件は碑が設置されている場所の反対側になる虎ノ門公園(現商船三井ビル)で起きた
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%8E%E3%83%8E%E9%96%80%E4%BA%8B%E4%BB%B6
虎ノ門事件は、1923年(大正12年)12月27日に、東京府東京市麹町区虎ノ門外[1]で、皇太子・摂政宮裕仁親王(後の昭和天皇)が無政府主義者の難波大助から狙撃を受けた暗殺未遂事件[2]。
影響
当日の警護責任を取り、警視総監の湯浅倉平と警視庁警務部長の正力松太郎が懲戒免官になった

https://note.com/curon154/n/n5546895db695
囲碁史記 第138回 木谷実・呉清源 鎌倉十番碁
烏天狗クーロン 2024年9月5日

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E5%8A%9B%E6%9D%BE%E5%A4%AA%E9%83%8E
正力 松太郎(1885年〈明治18年〉4月11日 - 1969年〈昭和44年〉10月9日[3][4])
読売新聞社の経営者として、同新聞の部数拡大に成功し、読売中興の祖として大正力(だいしょうりき)と呼ばれている
略歴
1885年(明治18年)に富山県射水郡大門町(現:射水市枇杷首)に生まれる。1911年に東京帝国大学(法学部)を卒業し内務省に入省。
1923年12月に虎ノ門事件が発生し、当時警視庁警務部長であった正力は警視総監の湯浅倉平とともに引責辞職[6]
1924年2月、後藤新平の助力のもと経営難で不振の読売新聞を買い受けて第7代社長に就任し、新聞界に転じる。意表をつく新企画の連発と積極経営により社勢を拡大。当初二流紙扱いであった読売は、1941年に発行部数で朝日新聞・毎日新聞を抜いて東日本最大の新聞となる