>>485
うむ
李卓吾か
さすが、東大と京大の二つの教養を学んだ 数学者
教養 ありまくりですね
私は さっぱりの初見でした (^^
下記ですね ;p)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E5%8D%93%E5%90%BE
李 卓吾(り たくご、嘉靖6年10月26日(1527年11月19日) - 万暦30年3月16日(1602年5月7日))は、中国明代の思想家・評論家。陽明学左派(泰州学派)に属する。泉州府晋江県の出身。
もとの名は林載贄(りん さいし)。のちに姓を李と改める。1566年に即位した隆慶帝朱載坖の諱を避けて「載」字を除き、李贄(り し)と名乗った。号は卓吾(一説に字とも言われる)・宏甫・篤吾・龍湖叟。別号は温陵居士。
また母を早くに亡くし、父の影響を大きく受けたと言われる李卓吾は、父(白斎公)を偲ぶと言う意味で、晩年「思斎」と号した[1]。
思想
李卓吾思想の真髄は童心説にある。「童」が童子、赤ん坊と言う意味であり、人間が生まれたままの自然状態である。「童心」とは偽りのない純真無垢な心、真心を言う。これは陽明学の「良知」を発展させた先に李卓吾が到達したものである。李卓吾によれば、誰もが持つこの「童心」は人間が成長して社会生活を営み、文明化されるにつれて、道理や見聞、知識を得るなど外からもたらされるものによって曇らされ、失われるという[8]。
この思想が危険視されるのは、当時正統イデオロギーとなっていた朱子学における聖人に至る道を否定している点にある。朱子学では心を性と情に分かち性こそ理とする「性即理」をテーゼとするが、性を発露するために読書などによって研鑽を積まねばならないとする。しかるに李卓吾はそのように多くの書物を読んで道理や見聞を得ると言う研鑽そのものが「童心」を失わせるとして排し、否定的に捉えるのである。そして「童心」を失った者が成す文や行動がいかに巧みであろうと仮(にせ)であって、真なるものでは無いとする。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%B0%E5%B7%9E%E5%AD%A6%E6%B4%BE
泰州学派
泰州学派(たいしゅうがくは)は、中国明代の儒教(宋学)における陽明学の一支派を指す。陽明学支派のなかでも急進的な学派であったことから王学左派(おうがくさは)に分類される。王守仁(王陽明)の直弟子で泰州出身の王艮(1483年 - 1540年、号は心斎)によって創始され、「百姓日用即道」などを主張した。
その主張には、王陽明以上に禅の影響が色濃く見られる。実際に、その中からは、三教一致の主張を展開した者も出た。さらに、彼らの主張を更に急進的に推し進めたのが李贄(李卓吾、1527年 - 1602年)である。その童心という概念は、純粋で初源的な心のあり様を述べたものであり、既成の価値概念を形骸化したものとして痛烈に批判した。
純粋・応用数学・数学隣接分野(含むガロア理論)21
487132人目の素数さん
2025/11/19(水) 20:24:30.29ID:cYx2EU9Iレスを投稿する