正力松太郎は「日本の原発の父」と呼ばれ、読売新聞社主・初代科学技術庁長官として、1950年代にアメリカの協力を得て原子力発電(平和利用)を日本に導入した政治家・実業家です。
☆原子力導入の経緯
・世論の形成: 1954年の第五福竜丸事件以降、日本国内で高まった「反原子力」の恐怖心を一掃するため、読売新聞や日本テレビを活用したアメリカ主導の原子力平和利用キャンペーン(原子力展など)を大々的に展開しました。
・行政組織の設立: 1956年に新設された原子力委員会の初代委員長に就任し、科学技術庁の初代長官も兼務して、日本の原子力政策の基礎を築き上げました。
☆導入の背景と目的
彼の原子力推進には、単なるエネルギー政策にとどまらない背景があったと指摘されています。
・通信網の獲得: 早稲田大学の有馬哲夫教授などの研究では、アメリカの支援による日本初の民間テレビ局(日本テレビ)設立や、当時のマイクロ波通信網ビジネスの利権獲得などの野望が、原子力の導入と深く結びついていたと分析されています。
・CIAとの協力: 機密文書などから、日米両国の思惑が一致し、共産主義の拡大を防ぐ親米世論工作の一環として原子力政策が政治カードにされた経緯が判明しています

正力松太郎のCIAコードネームは「PODAM(ポダム)」