>>135
>志村五郎による高木貞治の評価w
>"なお、「高木の類体論」とか「日本で生まれた類体論」などと日本の通俗解説書に書いてあるがそれはどちらも誤りである。"
>"要するに高木以前にかなりの物があった。彼は別に余人の思いも寄らぬ理論を樹立したわけでもなく、彼が議論を完成してそれでおしまいになったわけでもない。彼には彼の貢献はあるが、それを誇大に言ってはならない。"

・志村五郎氏の悪口漫才には、一つ大事な視点が欠けている
 その視点とは、下記の類体論年表をご覧あれ
・明治維新 1968年、明治政府は富国強兵政策で お雇い外国人を招聘すると同時に
 優秀な若者を、海外留学させた
・数学は、和算の伝統はあれど 西洋の数学からは決定的に遅れていた
 その状況の中で、高木先生の数体論の意義は
 「明治維新後、初の日本人による西洋の数学のブレークスルー」を達成した
 ということ
・高木貞治の類体論のブレークスルーが どれくらいの大きさか?
 多分それを定量評価できる尺度はない
 しかし、はっきりと認識できるブレークスルーだったことは間違いない
・志村五郎氏が見落としているのは 繰り返すが
「明治維新後、初の日本人による西洋の数学のブレークスルー」
 だということ
・あたかも、戦後湯川博士の日本人初のノーベル賞と同じ意義が
 高木先生のブレークスルーにはあった

(参考)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A1%9E%E4%BD%93%E8%AB%96%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8
類体論の年表
(抜粋)
1801年 カール・フリードリヒ・ガウスが平方剰余の相互法則を証明。
1829年 ニールス・アーベルがレムニスケート関数の特殊値を用いて Q(i)のアーベル拡大を構成。
1853年 レオポルト・クロネッカーがクロネッカー・ウェーバーの定理を発表。
1880年 クロネッカーが虚2次体のアーベル拡大に関するクロネッカーの青春の夢をリヒャルト・デーデキントに書き送る。
1897年 ヒルベルトが数論報文(英語版)(Zahlbericht)を出版。
1898年 ヒルベルトが(狭義の)ヒルベルト類体の存在と性質を予想。類数2の場合に証明。
1908年 ヴェーバーが一般のイデアル類群について類体を定義。
1920年 高木貞治が数体のアーベル拡大とはイデアル類群の類体に他ならないことを証明。
1922年 高木が相互法則に関する論文を発表。
1923年 ヘルムート・ハッセが(二次形式という特別な場合について)ハッセ原理(英語版)を見つける。
1923年 エミール・アルティンが一般相互法則を予想。
1924年 アルティンがアルティンの L 関数を考案。
1927年 アルティンが一般相互法則を証明。ガロア群とイデアル類群の間に標準的な同型写像を与える。
1930年 フルトヴェングラーとアルティンが主イデアル定理(英語版)を証明。
1930年 ハッセが局所類体論(英語版)を創始。
1952年 ゲルハルト・ホッホシルト(英語版)と中山正が類体論に群のコホモロジーを持ち込む。

https://en.wikipedia.org/wiki/Timeline_of_class_field_theory
Timeline of class field theory