>>193
(引用開始)
ここは中高一貫生も来るから ハッキリと書いておく
1)”数学を学ぶというのは、再発見を繰り返すようなもの。
いかに小さくとも、単に覚えると、自分の頭で考えて理解するでは異なる。
セタにはこの体験がない。”
 ↓
 なるほど・・・
 ご高説もっともなれど、では問う
 あんたの数学投稿論文何本あるの?
(引用終り)

下記の ヴェイユ:君たちもガウスのように始めろ。そうすればまもなく君たちは自分がガウスではないことを発見するだろうが、それでもよい。とにかくガウスのようにやれ。

別に アルティン ガロア本の まえがきに
「ノートルダム大学 夏期学校 講義ノートに Milgram氏が 応用に関する付録を書き加えたもの」
「講義の目的は、代数学に関して 僅かな予備知識しかもたない学生に対して、ごく短期間にガロア理論の方法と問題点を知らせることにあった」
と記されている

ガウスのように考えることと、
アルティン ガロア本 ノートルダム大学 夏期学校のごとく、「ごく短期間にガロア理論の方法と問題点を知」ること
とは両立する

実際、ガウスDAを見ると 各箇所に先人からの引用がある オイラーとかルジャンドルとかね
ガウスさん 想像以上に勉強家だと知ったよ

繰り返すが、考えることと 本の勉強とは両立する
そして、レベルの低いところで 「ガウスのように」をやらないこと
「ガウスのように」は、数学研究の最前線でやること
(おサルや、(ガウスDA)くんには 当てはまらない)

(参考)
http://reuler.blog108.fc2.com/blog-entry-2477.html
Author:オイラー研究所の所長(高瀬) 2017-01-28
新数学人集団(SSS)の時代 ノート31 ガウスのように
(抜粋)
『月報』第3巻、第3号の記事「A.Weilに接して」にはSSSとヴェイユとの交流の模様が詳しく再現されていますので、一読してみたいと思います。IからVまで、五つの節分れています。第I節の小見出しは「フジホテル」にて。10月10日の夜、SSSの3人のメンバーK、S、Yがヴェイユを訪問したときの記録です。訪問者の実名はわかりません。以下、筆写します

ヴェイユ
日本で本当に独創的な研究を始める人は少なかった。岩澤(健吉)はその少ないひとりだが、一方小平(邦彦)は非常によくできるにもかかわらず、私やレフシェッツ、ホッジなどの仕事を完成するようなことしか手を出さなかった。ごく最近、やっと彼自身の考えに基づく研究が出始めた。もっともっこれは岩澤が小平よりすぐれた数学者だという意味ではない。私の言いたいのは、小平のようにすばらしい数学者が、自分のアイデアを見出だすのにこんなにも遅れたことで、これはまさに驚くべきことだ
 しかし、戦後、日本の若い人の間に、自分のアイデアを持って始めようとする者が増えてきた。特に君たちはみな高みをねらっているが、日本でこのような傾向ができたのはごく最近のことで、非常によいことだ
 とにかくも自分のアイデアを持って始めるように。ガウスはそうだった。君たちもガウスのように始めろ。そうすればまもなく君たちは自分がガウスではないことを発見するだろうが、それでもよい。とにかくガウスのようにやれ
 モラルを変えるのはたいへんだが、数学のやり方を変えるだけならそれほどむずかしくはないだろう