認識活動が現象をまったく感知しないようになれば、
「ただ識別のみ」という真理のなかに安定する。
なぜなら、もし認識対象が存在しなければ、それを認識することも、
またないからである。
それは心が無となり、感知が無となったのである。
それは、世間を超越した認識であり、煩悩障(自己に対する執着)・
所知障(外界のものに対する執着)の二種の障害を根絶することによって、
阿頼耶識が変化を起こす(転識得智=てんじきとくち)。
これがすなわち、汚れを離れた領域であり、思考を超越し、善であり、
永続的であり、歓喜に満ちている。それを得たものは解脱身であり、
仏陀の法と呼ばれるものである(大円鏡智=だいえんきょうち)。


煩悩障(自己に対する執着)・所知障(外界のものに対する執着)の二種の障害を

根絶すること^^