中村訳の心経には色々課題があるんだけど、一番問題なのはやはり「色(ルーパ)」の解釈が間違ってる事なんじゃないかな。
色を物質的現象と邦訳して、多分これ巷間流布されちゃってるんだよね、中村ブランドは侮れないから。
39歳の頃の訳なので、若気の至りだったのかもしれない、中論とかだと、意訳的なのはあるが誤訳までには至ってないから。

色は、例えば十二因縁だと4番目の名色のかたわれがそれに相当する。
物質的と言う言い回しを離れて、仮に物理的作用等に言い換えたとしても
十二因縁の四番目はまだ心的作用の範囲内で、物理的と言えそうになるのはその次の六処あたりからになる。
眼だの耳だのの意識が為された結果が六処であって、その原因には、感覚器官等に異常(痛みとか違和感とか)が
起きてない名色が起きてその次に六処が起きて、それを因に接触され感受される。
しかし十二因縁は一つも物理的や物質的な根拠を持たない。
耳などは物理的な器官だけど、器官だけあっても機能しなければただの飾りと変わらない。
十二因縁が心の一部として扱うのはこの、機能そのものの方だけで、器官自体は扱っていない。

物で例えるならコップ、これの主な機能は簡単に言うなら「液体を汲み置ける」と言える。
このコップを割ってしまっても、そこには壊れたコップがあるが、液体を汲み置ける機能は失ってしまっている。
この機能を指してるのが色即是空の色であり、聴こえる機能や見える機能の無感状態を指していなければ
心の事を指して言ってる心経の本意には沿わなくなるし、庭前柏樹子との答えは境を答えた事になってしまう。

まあ、考え過ぎなんだろうな。