私が幼稚園の頃、鳥居が何本も連続する大きな公園に遠足に行くことになった
その前日に母から「鳥居は怖いんだよ。絶対に中を潜っちゃダメ。約束して」と言われた

遠足当日、二人一組(男女)で手を繋いて列になって歩くスタイルだった
私は鳥居が見えるとパートナーの女の子から手を離して鳥居の外を走って大回りした
何度か繰り返すと教員に怒られた
それでも母の言いつけを守った
次第に何をやってるか分からなくなってきたが、それでも鳥居の中は潜らなかった
最後はパートナーの女の子は泣くし、手を繋ぎなおしてはくれなくなった

このことを家に帰り、母に伝えると頭を撫で「とてもいいことをしたんだよ。みんな知らないの」と私を誉めた

このエピソードから考えるに母は私の事を思って言ったはずだから、本気で創価の教えを信じてたと思う
あの頃は、まだ正宗と連るんでた時で神道を厳しく避難してた
後に正宗から波紋されて別れた時の「くそ坊主!日顕撲滅!」などの掌返しによくやるわ。と幼心に思った記憶がある
創価はスタイルを変えていくそれは別にいいと思う
仏壇が電動になったり、蝋燭が電気になるようなことだと思う
良いものは取り入れるべきで悪しき風習はなくすべき

イチローが言ってた。バッティングスタイルに終着点は無いと。
きっと攻略されちゃうから常に変えていかなくてはならないのであろう
法華経だって完璧ではないのでは?
近いというだけで、完璧なんてもの存在しうるのでしょうか