そもそも性質からしたらイエスはどこまでも神性と言えるのだから、

人間の身代りに罪を背負ったと言っても【性質上は罪はない】から身代りになりようがないし、

人間の世界に降りたと言っても、【性質上は神の御許にいるのだから人間になりようがない】のでおかしな表現なのではないでしょうか。

にもかかわらず【罪を背負った】と言われるのは、これが性質(本質でもいい)を述べたものではないからでしょう。

(神性の)性質上微動だにしていないにも関わらず、【罪を背負い磔になった】というのは、

それが、最 も 慈 悲 を 表 現 し て い る レ ト リ ッ ク だからだと思います。