宗教スレに出入りするには、それなりの理由が有るのだろう。

そこで、なんにも考えない、学ばない、不用の脳に仏教を。

禅が言う、無我 とは全く違うのだが、

天上天下唯我独尊 の唯我 の我について言ってみる。

この我、と言うのは自分自身を含む、有情(うじょう)無情(むじょう)
有機物、無機物、つまりは存在しているものすべてを言う。
これを色(しき)とも言い、法(ほう)ともいう。
法は存在の他に、真理(さとり) をも言う。気を付けてね。

死に際に弟子のアーナンダに残した言葉に、この世は甘く美しい、わたしの死後はわたしに頼るのではなく、真理に頼り、自己を頼りとして修行してゆきなさい、と言うものだよ。

つまり、真理(さとり)を求めなさい、と言う。

さとったら、悟ったので、さとりを求める事は無い。

初関(しょかん)を透(とお)れば租佛祖師方(そぶつそしがた)と手を把(と)って供(とも)に歩み行く。

我とは無我である。

色は空である。

ここが大切(たいせつ)

考えろ、とことん考えて言え。何度も何度も答えを言え、負けるな。


ポッたん と言う一人の人間の存在は大前提になる。

般若心経は呼んだことがあると思うが、

舌や目、耳、鼻、皮ふ、そう言うものが感覚して他の存在を確認しているが、それは脳内変換であって、神経は電気信号であって、そのものの存在ではない。

無我、である。

ポッたんも我であって、無我である。


考える、とは、哲学、と言う事だよ。

哲学とは明治の日本語化政策で作った造語だけど、愛知学、と言う。

考えるとは、愛知学だね。

禅では 常識、知識、を疑う団(かたまり)、疑団となれ、と言う。

そこが入り口なんだよね。

この空が体得できれば、そこが 真理(さとり) なんだよ。
最初は七転八倒だね。

ゼロ の意味は無いんだよ。

むしろ すべて、、全宇宙と言ったほうがいい。