>>54
∞ノノハ∞
川^〇^ハレご先祖様は日蓮宗にお世話になっているんですけど
麦は禅師が好きです
月を示してくださっていると麦は思います
URLが長いので

臨済宗正光寺
>黄檗宗開祖の黄檗希運禅師は敷瓦に額を押し当てて仏像を熱心に礼拝したために「礼拝こぶ」ができていた。

のちに皇帝となる宣宗が黄檗に対して『維摩経には
「仏に着いて求めず、法に着いて求めず、衆に着いて求めず」とあるが、何故あなたは礼仏するのか』と尋ねた。
維摩居士は仏になりたい、真理をつかみたい、衆生を救済したい等の執着を戒められるのに、
何を目的として礼拝するのか?という問いである。

すると、黄檗禅師は「仏に着いて求めず、法に着いて求めず、衆に着いて求めず。
ただかくの如く礼拝するのみ。」と答えてさらに礼拝を続けたという。
私の好きな逸話であるが、さらに「雪をになって井を填む」
�� 雪を担いでは黙々と井戸を埋めようとするは愚行為であるが、
効率や功徳に執着せぬ素晴らしい働きである �≠ニ禅では称賛される。

それほどに私たちは目的や結果に執着してしまう。

成果は求めず、ただ無心に遊ぶ子供の姿に似た純粋性を取り戻さねばなるまい。
結果はおのずと顕れる、いやどうでもよい