現象が、外にあるのか内にあるのかなんて、確かめられんし、わからんのだよ。。
ただ、素朴な認識としては・・・哲学や仏教など学んだり、深く考えたりしない人々の認識としては、
対象が外にある、認識した通りの対象があると思い込んでいる。。

そういう素朴な認識、素朴実在論を批判する、というのが哲学とか仏教だろう。。

人は、五感、感覚情報の外へは出られない。
それらがすべて嘘かもしれない、夢かもしれない、ということを唯識でも、荘子なんかでも言うわけだ。。
西洋哲学でもそう…カントとかフッサールとか、概要がわかっていれば、そこらへんはすぐわかる。。
意識は意識の外へ出られないから、現象が外にあるか、内にあるかなんてことは確かめられんということ。。

対象がもともと外にあるのではなく、認識によって、対象が生まれる、というか対象を構成している、ということ。。
認識と、対象の成立と、主客の分離が同時。。

たとえば、テレビのリモコンでも、人がリモコンと認識するからリモコンなんであって、
人間以外の生物が見れば、なんだかわからんもの、にすぎない。。

だから、物が、存在が内にあるか外にあるかはわからんけど、認識対象はすべて、心の中にあるということだね。。