>>374
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ続きです
なお、煩悩即菩提といえば、相対した矛盾する言葉が「即」でつながっていることから、
「煩悩=菩提」、煩悩がそのまま悟りである、と考えられやすいが、
これは誤解であり、間違いである[1][5][6]。天台本覚思想に走れば、現実の相対的二元論を忘れ、
而二不二の考えを忘却し、本覚思想の絶対的一元論より「煩悩そのまま菩提」という風に直接肯定してしまうことになり、
人々の愛欲や煩悩を増長し、退廃し、墮落することになるため、誤った解釈である[1][5][6]。
あくまでも紙一重、背中あわせで相対して存在しており、
煩悩があるからこそ苦を招き、その苦を脱するため菩提を求める心も生じる、
菩提があるからこそ煩悩を見つめることもできる、
というのが煩悩即菩提の正しい語意である[6]。

『大乗荘厳経論』随修品に「法性(ほっしょう)を離れて外に 別に諸法有ること無きに由り
是の故に是の如く説く 煩悩即ち菩提なりと」と説かれる[12]。